現在のページ:TOPページ > 医療ジャーナリスト丸山寛之氏が綴る辛口コラム「それ、ウソです。」
だれだって毎日、寝ます。 「寝ないと死ぬ」とよくいいますが、私は寝ないで死んだ人を見たことはありません。だって、それほどヒトはかならず寝ますからね。(養老孟司「養老先生のさかさま人間学」=毎日新聞2013年3月5日朝刊)
養老先生ご自身は「寝ないで死んだ人を見たこと」がなく、生理学的事実としては「ヒトはかならず寝」るものであるのだろう。
だが、しかし、世の中には、寝ないで=寝ることができず=死ぬ人がたくさんいる。人間社会の苛酷な現実は、学者先生の常識のようには甘くない。
養老先生も「過労死」はご存じだろう。それこそが「寝ることができなかった」人の最悪の結末にほかならない。
過労死─。正式な病名ではない。
1970年代の初めから「勤労者の急死」を研究してきた、上畑鉄之丞・国立公衆衛生院成人病室長(当時)の造語である。
いまでは「KAROSHI」として外国でも通用している。『広辞苑』にも1991年の第四版から収載されていて、「過度な仕事が原因の労働者の死亡。一九八○年代後半から一般化した語。」とある。
発病から死亡までが24時間以内の病死を「突然死(英語ではサドンデス)」というが、過労死は、その原因が過労(蓄積疲労=翌日に持ち越される疲労)であること、発症から死亡までを24時間以内に限定しないこと。また、死亡に限らず、重度障害者としての生存者を含む点で、突然死と区別される。
突然死の原因の大半は心筋梗塞と脳卒中だが、その背景にも多くの場合、過労がある。
労働医学では、1日の労働時間が10時間を超えると、職業性疲労を増し、慢性的な蓄積疲労を強めるとされている。
その状態が続いていると1日ごとに心身のエントロピー(不可逆的な劣化現象)が増大し、その究極に過労死が待ち受けている。
話は急に小さくなるが、小生は自分でもあきれるくらい仕事がのろい。おまけに怠けぐせもついている。したがって、シメキリという魔物にしばしば追われることになり、いよいよ切羽詰まると、おちおち昼寝などしていられない。
狭苦しい仕事部屋で、もたもたパソコン労働をやっていると半徹夜になって、家の者から「あまり無理しないで…」などと言われたりもする。
しかし思うに、人間、生きているということは、無理をするということではないのか。
まったく何の無理もしないで生きていくなんて、よほどの「鈍感力」の達人でなければできぬ相談だろう。仕事には無理がつきものだと思う。
とはいえ、むろんそれにも限度はある。無理に無理を重ねることを続けていると、体をこわし、その先にはすでに見たように致命的結末の過労死がひかえている。
「過労死は自己管理の問題」と言った人がいるそうだが、極言すればそのとおりだ。そのとおりではあるが、自己管理もへったくれもない状況の中で働いている─働かざるを得ない人があるのも、事実である。
過労死を防ぐために勤労者本人ができることは、疲れたら休む、特に睡眠を十分とる、この一事につきる。
繰り返すが、過労死すなわち睡眠不足(欠乏)死にほかならない。
疲れたら休もう! 勇気を出して休もう! 毎日少なくとも6時間は眠ろう。
仕事を「死ごと」にしてはならない。