現在のページ:TOPページ > 医療ジャーナリスト丸山寛之氏が綴る辛口コラム「それ、ウソです。」
「先生は、腕も太く、がっしりと丈夫そうな体つきだったのに、若いころから片方の肺が弱かった。肺気腫を起こして、入院したことが二度あった。」(村上元三「長谷川伸のこと」=『オール読物』1988年7月臨時増刊号)。
「瞼の母」や「一本刀土俵入」など大衆文芸の名作を数多く残した長谷川伸の門下からは、山岡荘八、山手樹一郎、戸川幸夫、池波正太郎、平岩弓枝など錚々【そうそう】たる作家が輩出しているが、村上元三は最も古い高弟の一人で、伸を「生涯の師父」と仰いだ。そのような人の証言ではあるが、この「肺気腫」は医者の誤診か、あるいは患者の誤解だろう。
肺気腫とは、肺の中で酸素と炭酸ガスを交換する肺胞(両肺合わせて約3億個ある)が壊れてくる病気だ。肺胞には弾力性があってふくらんだり、縮んだりすることで空気の出し入れをしているのだが、多数の肺胞が壊れると、息を吐いても肺胞が縮まらず、肺にたくさんの空気が残ってしまう。呼吸がうまくできなくなり、息切れが激しくなる。咳や痰も多くなり、冬には悪化する。
肺気腫が進行すると、壊れた肺胞どうしがくっつき合い、「ブラ(気腫性嚢胞【きしゅせいのうほう】)」と呼ばれる風船玉のようなふくらみができる。そのブラが破れて、「気胸」を起こすことがある。いわば肺がパンクしたようなもので、肺の中の空気が胸膜腔(肋膜のすきま)に流れ込み、肺はふくらむことができず、胸が痛く息苦しくなる。長谷川伸の二度の入院は、たぶん気胸を起こしたのだろう。しかし、退院すると、また元の元気な生活に戻ったようだ。そんな肺気腫はありえない。
「肺気腫は、長い歳月の間にしだいに重症化していく病気で、治るということはない。(長谷川伸の)二度の入院は、昔、患った肺結核が原因の自然気胸か、肺尖部にはブラができやすいので、それが破れて気胸を起こしたのでしょう」というのが、呼吸器内科の専門医の解説だ。
気胸は、いろいろな原因で起こるが、最も多くみられるのは、若い男性に起こる「自然気胸」だ。むろん肺気腫とは関係ない。
肺気腫は、前段階の慢性気管支炎と共に、今はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と呼ばれる。世界の死亡原因の4位で日本の潜在患者は530万人。最大の原因は喫煙だ。