現在のページ:TOPページ > 医療ジャーナリスト丸山寛之氏が綴る辛口コラム「それ、ウソです。」
目へ乳さす引越しの中
この句は引越し騒ぎの一こま。あまり忙しくて、赤ん坊に乳をふくませるひまもなく、つい赤子の目におっぱいを飲ませてしまう母親。(大岡信「折々のうた」=朝日新聞1998年2月7日)
朝日新聞朝刊1面に「折々のうた」が連載されたのは、1979年1月から2007年3月までの足かけ29年だった。
朝、新聞を手に取ると、いの一番にこのコラムを読むのが、1日の始まりのよろこびだった。途中、何回かの休載年のときは、なんともいえずさびしかった。私だけではないと思う。そんな人が日本中に何千、何万人といたはずである。
それだから上記の一文を読んだときは、思わず「あ、これ、違うヨ」とつぶやき、切り抜き、『それウソノート』に貼った。
それをすぐウソだと気づいたのは、自分の幼児体験が脳裏に濃く残っていたからだ。目にゴミが入ったとき、母親のひざの上に仰向けに寝かされて、母の乳房から乳のしずくをポト、ポト…と、目にたらしてもらった、そのときのことが。
大岡信ともあろう人が、なぜこんな思い違いをしたのだろう。新聞社にハガキを書こうかと思ったりもしたが、同月18日の朝日夕刊に、<「折々のうた」読者の方々へ「目へ乳さす」の反響に、おっぱいの恩、
─(コラムが)新聞紙上に出て、驚くべきことが起こった。まさに全国津々浦々、ご自分の経験や伝聞をもとに、これに関する異説が殺到し始め、朝日新聞社に届いただけでも百数十通、また電話もひっきりなしという騒ぎになった。─略─俳諧研究家で、私の尊敬する室山源三郎氏が下さった封書を、無断で一部引用することをお許し頂きたい。
「(この句は)引越し騒ぎの最中ゴミが眼に入ってそれを眼の外へ出すために、衛生上も安全な(?)乳を注いでもらった図です」
そのあとの大岡さんの文には、 「私の親しい友人で眼科の名医は、水だと量が多すぎるおそれがあり、しみて刺激も強すぎるから、ぬるま湯あるいは舌べろがいい。お乳も身近で適量だからね、と言った。」という一節があり、そして、
「それにしても、こういう失敗談とその
引き写しながら筆者の胸中もなにか切なくなつかしいもので満たされるようだった。